厚生労働省並びに、日本遺族会が毎年実施している遺骨収集に、是非、一度現場にお邪魔させて頂きたいとお願いして今回行って参りました。
シベリアの夏は高温多湿で親指の頭ぐらいある蚊が“わっ”と寄って参りますし、冬はマイナス50度、そういった厳しい環境の中で、実際に戦争中ではなく、終戦直後、旧スターリン政権によってシベリアに強制的に連れて行かれた日本人の同胞が、1日パン1個、1日に塩のスープ1杯でシベリア鉄道建設の為に森林伐採等の強制労働を強いられて、多数お亡くなりになられました。
ゴルバチョフ政権になり、ペレストロイカによってようやく日本に対して、55,000名亡くなったと報告があったわけですが、60万からの日本人が抑留されて本当に55,000名なのかどうか、確定した数字はわからないと聞いております。現在までにご遺骨が収集されたのは約15,000名で、単純に計算してもまだ約40,000名の方がシベリアの大地の下に眠っておられます。私は日本の国のこの部分での戦後補償というのはまだ終わっていないという事を改めて実感しました。
現場はきちんとした墓地があるわけでなく、一人一人が埋葬されている状況でもない。墓地と報告されている該当地域をくまなく掘り起し、例えば3メートル四方、深さ2メートル位の穴で、多い所では20体以上も積み重なって出て来ます。掘った穴は全部で75にもなりますが、穴からご遺骨を中から取り出し、そして私も一緒にたわしで泥を落としてあげて、そのご遺骨を完全体は完全体、まとまっているものはまとまっているものに分け、穴ごとにきちんと番号で整理し、最終日に焼骨式を執り行ないました。それは、木でたなを作りご遺骨を並べて油で野焼きする作業で、もちろん日本の火葬場と違い、外で焼骨しますので時間をかけますが、なかなか完全に焼ききれず、5時間ほどかかりました。そして、ご遺骨を日本に持ち帰ったのち、厚生労働省へ引渡したわけです。
現在、シベリアだけでなく、南方、あるいは中央アジア、各地で大変精力的に行っておりますが、なかなか捗らないのが現状です。しかしながら、捗りが厳しくとも精力的にやることが国の責任だと痛感致しました。
私の政治の基本スタンスは現場第一主義。実際に意見を述べるには、目線を現場に合わせて取り組む事が必要と今回の遺骨収集を通じて改めて実感致しましたし、御遺族の皆様と力を合わせてこれらの問題解決に取り組んで参りたいと考えております。
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