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昭和58年から平成10年までの間、ニューヨーク、ロサンゼルス、チューリッヒと計11年に及ぶ2度の海外駐在経験は、日本の金融の将来を予感させる貴重な経験でもあり、又家族と一緒の家庭生活を通じて、様々な社会勉強をさせて貰った時代でした。9・11同時多発テロで崩壊した世界貿易センタービルの85階で勤務していたニューヨーク時代は、日本の銀行が最上格付AAAを得て米国のキャピタルマーケットへ足を踏み入れ始めた頃でした。レーガン大統領の税制改革と共に、次々と開発される金融商品、即ち債権の流動化を進める仕組みを理解するだけでも大変苦労しましたが、資本市場における資金の運用調達の多様化を促進させ、次々と商売の種をつくり出す米国投資銀行のダイナミックさを見ながら投資家の存在感を実感した時代でした。
それ迄日本では間接金融の伝統的な商業銀行業務で飯を喰っていた私にとって、投資家が支える資本市場の動きにはただただ驚くことばかりでした。とりわけ米国流自己責任の考え方に対して、当時日本は右肩上がりの経済成長を続けていた時代です。日米両国内の商習慣の違いから、投資のダイナミックさよりも堅実さを好む日本人の感覚とは異質な臭いを感じていたものです。
初めての海外生活は当時、2歳だった長男にとっても、相当なカルチャーショックがあった様でした。2歳の子供にはことばの違いや今まで住んでいた国と違う国だと理解するまでに相当な時間がかかりました。近所の住人と両親が話す言葉が、家庭で自分と話す言葉と違うことに気付いて以来外出をとても嫌がる等、日本にいては味わえない苦労を親子で味わう日々があったことは今から思えば家族の繋がりを深くする良い思い出だったと信じています。親の都合で子供に苦労させたと思っていますが、親がしっかりついていてやれば子供は自分でちゃんと成長してくれることを親が学んだという事でしょうか。
ニューヨーク勤務の後も、妻、長男、ニューヨークで生まれた長女と親子4人で、海外を常に一緒に行動してきました。2度目の海外勤務の時、ロサンゼルスからスイス・チューリッヒとなって欧州に移りましたが、改めて米国が欧州に持っている対抗意識というのか劣等感のようなものの原点を欧州の生活文化に感じました。米国という歴史のない国のダイナミックな面と底の浅い面を見た思いです。いま、成長した私の子供達が日本の国際協調の在り方を身につける為には、米国ではなく欧州に身を置くことがより適切ではないかと思う理由もそこにあります。様々な民族の歴史と文化が各々の国の国民性、考え方をはっきりと示している欧州は、英国とドーバー海峡をへだてているだけで異なった立場を鮮明にしており、そこには英米対欧州の関係を生活面から感じることができます。私も国際協調とは自国利害の戦略的な調整という基本に基づいたものであると認識しました。住んでいたスイスがEU参加、不参加の狭間で揺れているのを見るにつけ、大国に囲まれながら欧州の中で不可侵の独立を維持してきた同国のしたたかさを感じると同時に、スイス国民の国益を守る、国に対する愛国心の強さを学びました。日本は、日本らしい「政府と国民の相互連帯関係」を再構築する必要があると感じたのも今から思えば10年前のことです。
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