山下英利 IN ACTION
〜Journalism 寄稿文〜

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「参院議員 その存在」 ■上■

朝日新聞2004年6月11日

問われる「心」
 東京・永田町の参院議員会館6階。自民の山下英利(51)の事務所には、農政や産業振興などを考える議員の勉強会の案内がファックスで次々に届く。
 「水曜日、午前10時」日程が参院の本会議と重なる時間帯も多い。「秘書に出てもらうしかないか」。参院議員のスケジュールを無視するかのような案内に、当選したばかりのころは戸惑ったが、今では驚くことも無い。

 参院の本会議は通常、月、水、金曜日の午前10時から開かれる。一方、衆院の本会議は火、木、金曜日の午後1時から。定数は参院が247、衆院が480。「議員数を考えれば、会合の時間設定が衆院中心になるのは仕方ない」と思う。ただ、「もう少し時間がずれれば出席できるのに。参院議員のことも考えてほしい」と感じるときもある。


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「参院補選にでてくれないか」東京都港区の都市銀行で支店長をしていた山下は00年4月、支店長室で県連会長(当時)の河本英典(55)から立候補を打診された。「考えさせて下さい」。即答できなかった。
 父の元利は、衆院議員に10回当選、防衛庁長官などを歴任した自民の重鎮だった。94年に死去したとき、後継の話も出たが、本人は永田町と無縁の生活を送っていた。参院と言われても、衆院が通した法案を追認する「カーボンコピー」の印象があった。だが、国政へ出る最後のチャンス、と立候補を決意した。
 参院議員になって4年。「自分なりのスタイルで仕事をし、カーボンコピーのイメージを払拭したい」と山下。支援者から「次は衆院へ」との声も聞くが、転身するつもりはないという。

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 山下が当選した00年10月の参院補選は、その年6月の総選挙に立ったさきがけの奥村展三(59)の辞職に伴うものだった。昨秋の総選挙で民主の候補として比例復活当選した奥村は、参院議員を務めた95〜00年の5年間に「参院の限界を感じた」と振り返る。
 憲法は、法律や予算の議決、条約の承認、首相の指名で衆院の優越を認めている。衆院の政策決定力が格段に大きいなか、参院に期待される役割は何か。
 奥村の理想には、かつての「緑風会」の姿がある。47年の第1回参院選後にできた院内会派で、政党政治と一線を画し、「良識の府」の存在感を示した。衆院の可決後、参院が修正・否決し、衆院が再議決した法案は57年までに29件に上った。しかし、自民・社会両党の55年体制が定着すると、参院の政党化が進み、緑風会は60年代に消滅した。衆院の再議決は過去50年近く1件もない。

 参院の存在について奥村は、高校の野球部監督を務めた自らの経験から、「投手が思うように投げるボールを、ただひたすら受ける捕手にすぎない」と例える。「法案はベルトコンベヤーに乗って流れていくようなものだ。政党化が進んだ参院は、本来のチェック機能を失っている」
 今国会で成立した年金改革法の審議でも、奥村の不満は募った。
 「多くの国民が疑問を持つ法案を、しっかり審議して『良識の府』の威厳を発揮すべきだった」

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 参院選が24日に公示、7月11日投開票される予定だ。参院不要論も根強く指摘されるなか、参院議員の存在や活動を考えてみる。
(敬称略)


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「朝日新聞」より

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